2011.05.24 Tuesday

福島へ行ってきました 20110524


ちょっと長いブログになってしまいました。

まとまりのない文章になってしまいました。

これからのお話は私の持論や主観が盛り込まれていますが、ご了解下さい。

見てきたありのままをお伝えしたく思います。



まずは安房研に集まった義援金のご報告を致します。

現在「55,755円」の義援金をお預かりすることができました。

本当にありがとうございます。

さまざまな物資などにかえ、有効的に活用をしたいと思います。



さて、福島のお話ですが、5月18日の夜から福島に向け出発をしました。

目的地である相馬市までは約500km。

高速道路では現状を知ることができないだろうと思い、一般道で向かいます。



まずは親戚が非難している福島県の南部、東白川郡のルネサンス棚倉へ。

茨城県へ入ったあたりから道が隆起している箇所が所々ありましたが、

それほどまで震災の影響は感じられませんでした。

ルネサンス棚倉は本来であるとスポーツレジャー施設として使われていますが、

現在は一時避難している方を受け入れている場所となっています。

この施設にも多くの避難者の方がいらっしゃいました。



しばし仮眠をとって、いざ相馬市へ。

ルネサンス棚倉を離れるときに、

とりあえず持っていっていたミネラルウォーター3ケース分を渡し、

少しでも癒される時間が必要だと思い用意したお香もプレゼント。

みなさんとっても喜んでくれました。



福島県へ入ると、自衛隊の車が横切る回数がすごく増えはじめ、

私の中にも緊張感が生まれ始めました。



相馬市へ向かう道中、避難を余儀なくされている「飯館村」にも訪れました。

本来であれば、今の時期は田植えの真っ最中。

緑鮮やかな風景を見ることができるそうなのですが、

手もつけられない状態でその素敵な光景を見ることもできません。

人もすでにごく一部の方しか見受けられませんでした。



また、原発から半径20kmの封鎖エリア近くまで行ってみました。

ここは戦場なの?と思わせるような、一面バリケード状態の場所でした。

人がまったく入ることを許されない場所。

白い防護服を着た自衛隊の方や警察官が警備をしていました。

正直、ここまでする必要があるのだろうかと思ってしまうほどでした。



相馬市は原発からは約50kmほどの位置にある、いわばグレーゾーン。

しかし、驚いたことにマスクをしている住人の方をあまり見かけませんでした。

どうしてしないのだろうと話を聞いてみましたが、

「確かに最初はしていましたよ。でもここに住む以上もう割り切るしかないと。」

とっても複雑な気持ちになりました。



また、道中ハローワークを横切ったのですが、たいへん混雑していました。

失業保険を得る方や、新しい職場を探しているのでしょうね。

そして、スーパーやコンビニにも立ち寄り、どんな状況なのかを確認したところ、

商品は安定供給されていました。不足している商品もない印象でした。

ガソリンについても特に問題はありませんでした。ちょっとお値段が高いかなと。



いよいよ相馬市に入ります。向かうは母親の実家のあった「磯部」というエリアです。

相馬市に入っても海岸近くに出るまでは、それといった変化はありませんでした。

驚く程、普通の風景が続いていました。

しかし、目的地へ近づくにつれ、道に瓦礫が、

そして、船がところどころに現れてきました。

ありえない光景でした。



「これでもきれいになった方だよ」と。



磯部エリアに入って愕然。。。

民家がひしめきあっていた場所がまったくの更地になっていました。

その更地は驚く程の範囲にわたって続き、本当に何も残っていない。

もう呆然と立ちすくむしかありませんでした。



相馬市の海岸線は自衛隊などが瓦礫などの撤去を一生懸命行っていました。

母の実家を見たいと、自衛隊の許可を得て入らせて頂きました。

しかし、跡形もない場所で実家を探すのは困難を極めました。

カーナビを頼りにこのあたりって指し示されたときに。。。

それでもわかりませんでした。





地元の方にお話を伺ったのですが、

海沿いにある、20m級のポールをも越えて津波は押し寄せたそうです。

(写真右手のポール。民家がたち並び海なんて見えない場所だったのですが。)

想像をはるかに越える津波だったそうです。



家を失い、職を失い、希望を失っている方が福島にはたくさんいらっしゃいます。

県外へ出て、再出発をしてほしい、これは私の希望なのですが、

福島で長く過ごしている人にとっては地元を離れたくないと思っている人が多い。



物資が安定をし始めて、地元に残る皆さんが次に必要なことは、住まいと仕事です。

しかし、住む場所も働く場所も今の福島にはとても少ないのが現状。

とても悩ましい状況です。



こんな状況の中、私ができること、

それは福島を見続けて、現状を伝え、

住むと決めた人たちを応援することだと思いました。



親戚がこんなことをつぶやいていました。

「きっとみんな忘れちゃうんだろうな」と。

できることならみんながしっかりと福島を見つめてほしい、

そしてできることを実践してほしいと願うばかりです。



できることなら、毎週でも行ってあげたい。

避難している方の話を聞いてあげるだけでもいい。

おじいちゃんやおばあちゃんの肩を揉んであげるだけでもいい。

小さなことかもしれないですが、地元の人はきっと喜んでくれるはず。

真剣に肩もみプロジェクトを立ち上げようかなと。

今、福島にはホッと暖かくなるものが必要だと思いました。



今後、福島は風評被害にも立ち向かわなければなりません。

できることなら根拠のない風評は言わないでほしい。

広島と同じ過ちを繰り返してほしくない、そう願うばかりです。



私は、福島にいたときに一切マスクをしませんでした。

みんなはとっても危険な行為だと思っていると思います。

しかし、何だかそういう気分にもなれませんでした。

がんばって過ごしている福島のみんなをみて。

防護服を着ている人を見ていると気持ちがなえてしまいます。

そんなに汚れた町なのかって。



私は放射能を浴びても、平気だと思っているんです。

根拠はまったくありません。

でも、0470の3号のpeopleで登場して頂く方

(発行までお名前は内緒にさせて頂きます)はこうおっしゃっています。



「私たちは放射能にも負けない体を作る。

 免疫力を高めないといけないと思うんです。

 免疫力を高めるにはストレスフリーな生活をし、自分自身を発酵させること」

 だと。



今の私は、放射能も寄せ付けない体を持っていると思っています。

何といっても充実していますから。



最後に、私の親戚が皆さまへ向けて教訓を話してくれました。

海の近くに住んでいる人、

大きな地震を感じたら、躊躇せず高台へ逃げて下さいと。

大丈夫だろうと思った方、非難したものの荷物を取りに戻ってしまった方が

被害に遭われているそうなのです。房総の人は教訓にしてほしい。



また、地域のコミュニティが大きな成果をもたらしたことも。

地元の消防団などが活躍し、多くの命を救ったそうです。

地方の町の人たちはどこにどんな人が住んでいるかしっかり把握している。

助け合って生きているんです。

東京など大都市圏に住んでいる方にはとても教訓にしてほしい。



これからもずっと福島県のことを見続けます。

そしてまた足を運びます。

福島に残って生活をしようとしている人たちを応援していきたい。



ここからなんです。

そして、復活を遂げますよ。福島は。

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